9日のワンマン。来てくれたすべてのファン、ありがとう。そしてあいにくの天候で来れなくて悲しい気持ちで、それでも祈ってくれた連中、ありがとう。感謝しきれません。
あの日の俺が今のすべてです。
そして裸の俺です。それ以上でも以下でもない、等身大のそのままの自分です。
言葉も歌も。全部がそのままの俺です。
無理なセットリストで途中意識がなくなり、スタッフに抱えられながら中断しそうになったと…。それでも歌えたのはきっとフロアの熱気のおかげだったと思う。
あの時、マイクを持つ左手を下ろしてしまった瞬間、正直終わったと思った。確かSICKの時だったと思う。曲の途中でマイクを持つ事を放棄した自分に怒りもなくて…。なぜかそれよりも…とてつもない幸福感の中にいた。REDGANG、TROPICAL DRUG、REPLAY、BOOGIEあたりはもうほとんど無意識の中にいた。ここまで激しいセットリストは過去なかった。そしてSICK…。宙に浮いた様な気持ちよさの中で。
ああ、これだけの愛する最高のファンに囲まれながら俺は俺の人生生きてきたんだなと。
そしたら!その瞬間、ビートを叩き続けながら叫ぶ愁さんの声が後ろから聞こえたんだ。「おい!おい!」と。その声でふと我に返り目の前を見ると、そんなボロボロの俺に拳をあげるファンがいてくれた。歌えない間も演奏は続いていた。愁さんのビートは…あの瞬間の心臓マッサージの様なものだったのかも知れない。メンバーは俺を信じて止めなかった。止まってしまっていたら本当に終わってたはずだ。もちろんLIVE自体も途中で。
LIVEの数日前のリハで、このままこのメンバーで全編の演奏は無理だと判断した。そして愁さんに連絡した。泣きたい気持ちを抑えながら。当日まできちんとした音合わせも出来ず、結果開演ギリギリまで会場で音を出しつつ、通しのリハーサルも出来ぬまま本番を迎えた。誤解なき様、イサオもイチローもこれまでで一番の状態だった。そして俺も再起をかけるつもりでコンディションを整えていた。それだけは伝えておく。そんな状態の中、それでも愁さんは常に堂々とふるまってくれた。何とかなると安心させてくれた。心と身体はもうすべてにおいて疲労のピークに達していた。ストレスもピーク。でもその時だけは誰も責めたくなかった。責める事で楽になる様な次元ではなかった。すべては俺の責任だ。そう思ってしまえと。
あの瞬間ね、後ろから愁さんの「立て!おい!」というけたたましい叫び声が背中に響いて、この野郎!やってやる!と。無意識に思った。ケツを蹴るとはこの事か。
愁さんはやはりすげーな。
魂に火が灯った瞬間を初めて感じた。
本編が終わり、俺は倒れてしまい、たまたま居合わせた医療のプロの方が付きっきりで様々な指示を出してくれた。何人もの…イサオ専属のヘアメイクのまどかちゃんまでもが汗だらけの汚い俺の身体を拭き、撫でて、さすってくれ、クツを脱がせ、世話をしてくれた。全身が引きつり、立てなかったけど、ファンがいてくれるならステージに戻らなきゃ!無意識にそう思えた俺がいた。自分のその感情に気づいた時、嬉しくてまだ大丈夫だ!!!と感じたんだ。やるぞって思ったよ。ふざけんな、負けてたまるか、まだまだ今夜は終わらせないぞと。それはきっとBLOODを始めたばかりの頃のバチバチに立ちまくった感情だった。
あの日のLIVEは本当に俺のまわりの様々な愛ある人達の力によって成り立ち、そして終える事が出来た誇れるワンマンだったと思います。
細い糸一本でつながった人生を大切にしなきゃね。
ステージを降りる時に言った自分の言葉。絶対に責任持ちます。
遠い未来を約束する事は出来ない。けれど20周年を目標にさらに上を目指し、最高のROCKをやりたい。
俺は俺の声、それこそが生きる証だから。
一歩ずつ。
歌います。
本当にみんな。
愛してるよ。
そして20人程もいたと聞く、クソな雪のせいで来れなかった俺の愛するファン達!
君達の為だけにもう一度19周年LIVEを夏にやりたい!それ以外のあそこにいてくれた連中も、もう一度必ずあの場所に集まれ!来れなかった同志達の為に!もっかい燃えようぜ!もっかい超満員にしようぜ!
20人だけでは困るから来てくれなきゃだぞ!(笑)
ワンマンの次の日、衣装を洗濯機にかけながらふと思い浮かんだ。2014年、19周年5つのスケジュールを立てよう!と。
そしてすぐに決めた!
俺は音楽に関してだけは嘘は絶対につかない。
スケジュール、ゾクゾクするだろう!?(笑)まずはDVDリリースに全力をかける!そしてあさって告知解禁の4月のスペシャルなLIVEを絶対に共に共有しよう!
必ずやり遂げる!
日本全国のファンの皆!全力でサポート、アシスト頼むな!
本当にありがとう。
また皆に会いたいよ。
鈴木慎一郎